手紙のようなもの

 

とんでもないことになっているネガを見つけました。
がびがびなのは多分この時のふるーいカメラのしわざ。

良太さんとかおりさんと、初めてお会いした時の写真。

この時はまさかお二人をはじめとする、
いろーんな方々にこんなにお世話になるなんて思っていませんでした。




ぎりぎりまでねばって、無理やりにでも最後にお話できてよかったな。
最後ってもう二度と会えないわけではありませんが。

とりあえず長野になんとか帰ってこれたー。
あとはもう寝るだけ。
せっかく楽しい時間を過ごせたので
昨日深夜と今朝の弾丸森山邸滞在について
感想文をかこうと思いますマル


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最近やっと良太さんと一緒にいても緊張しなくなりました。
私の中で良太さんは友達、とか、兄弟、というよりは、
妹のように可愛がってくださる「親戚のお兄ちゃん」です。

今朝はそんなお兄ちゃんにカラーの焼き方を教わりました。
「歯磨きもせず顔も洗わず寝間着のままで朝から写真を焼く」
というのはたまらなく幸せな時間だなあと、
初めてのカラー手焼きに手こずりながらもそう思いました。

でも、一番有意義に感じたのは、わずかな時間だったけれど、
一緒に生活できた、ということ。

朝、寝起きの顔を撮りに現れたり、顔を洗うところを撮りに突入してきたり、
そうゆう生活の中のどのシーンを残したいと思うのかが分かるのが面白くて、楽しかったのです。
何より、私も同じようなシーンを撮ってしまうことから、
あー…私こんな感じなのかーいつも…と勝手に客観視してみたり。

綺麗な光の落ちるあのお家で、だらだらと、どうってことのない写真を
撮ったり撮られたりするのがとても心地よかったです。




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お散歩から戻ってきた佳央理さんとお話をして、
佳央理さんのことがますます好きになりました。

私の目の話。
突然片目が二重になってから、アンバランスになった自分の目が嫌いだった。
どうせなら両方二重になってくれればいいのに、
もしくは両方とも一重のままでよかったのに、
どうしてこう半端に変化したんだよ~…と。
小さな違いなのだけれど、とにかく嫌いだった。

だから、

見る方向から表情が違って見えるとこには不思議な魅力がある、オッドアイみたいだ、
という佳央理さんの言葉に はっとさせられました。

いや、それでもこの目は何とかそろえたい…と思いつつ
佳央理さんのそうゆう感性が羨ましくて、ものすごく好きだなあ、と
実家の鏡の前に立つ自分を見て改めて感じます。

なんとなく、佳央理さんみたいな学校の先生がいたらいいのになあ、と思いました。



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「会いたくなかった人たち」なのかもしれない、もしかしたら。
あの日サイトボックスに展示を見に行っていなければ、
今はもっと違うことをしていたかもしれない。

そんなふうに思うこともあるけれど、やっぱり出会えて良かったなあと思う。

きっとどこに行っても、いろんな人をぐいぐい引き寄せて巻き込んででっかくなって
またふら~っと帰ってくるんだと思います。
その時までには私も大きくなっていなくては。

背丈が伸びずとも、根っこはぐんぐん伸びるだろう、と言ってくれたし。
サボテンに負けていられませんね。



 
 
明日も朝早いけど、
しわくちゃになってしまったスーツを伸ばして誤魔化して、
「ほどほどに諦めつつ」頑張ろうと思う。