「写真部ってなんだろうね」
という話をした。
私は結構、癒しだよ、っていう言葉はなんだかぐっときた。
私にとって写真部はなんなのか、
きかれたとき、うまい言葉はみつからなくて。
ただひとつ、思ったのは
撮りたくなってしまう時間をくれる人達だということ。
撮りたくなってしまう時間、
というのは、どうしても、
目に焼き付けるだけでは足りなくて、紙にしたくて、触れるものにしたくて、
心の中や、まぶたの裏だけでは足りなくて、
「また撮ってるよ」
と皮肉られても、にやにやしながらシャッターを切ってしまう時間、だ。
仲間、というほど、写真で切磋琢磨できたり、熱くはなくて
親友、というほど、いつでも支えてくれるわけではなくて
家族、というほど、お互いのことをよく知っているわけではなくて
都合がよい関係、といってしまうには、そっけなくて
ただの馴れ合い、といってしまうよりは、かけがえのない、とても大切な存在で
みんながそう思ってくれている…と言い切れる自信はこれっぽっちもないけれど。
自分の中ではそんなふうに思っていて。
私の周りいう「写真部」は
特に、傍にいる同学年の何人か、
部室にくる何人かの後輩、
いつもやさしく、ときに厳しく、助けてくれる先輩、であって、
それ以上の人、
これから加わる人もそうなるかどうかはわからない。
けれど、すこしでも、
そうゆう時間をすごせるような人が増えれば
多分もう少しは、
何か変わったりするのではないかと思う。
ついでに「写真」部なのだから、
もっと写真に打ち込む人間が増えれば、
記念に残せるものも、
展示で表現できるものも、
自然と増えるのではないかと思う。
まあ、だからって
全員が全員、わたしのようにみんなを撮りまくっていては
カメラを構えた人間の奇怪な記念写真しか残らなくなってしまうから、
みんなを紙に残すのはわたしの担当だ、と思っておこうかな。
あー、大切に思っていたのは自分だけなのだなあ、
切ないなあ、なんのためにやってきたのだろう、何を大切に残してきたのだろう、と
心折れたつもりでいたのに
そんなものはほんの何週かだけに終わり
いつの間にか、いつもの自分にもどってしまっていて。
そんな簡単に流しては、またどこかで自分が苦しむ羽目になるだけなのに、
と、思う反面、
結局、好きなものは好きで、どんなに裏切られてしまっても、
うごいてしまうんだなあじぶんは…、と少し呆れる。
でも、悪くもないかな、と思う。
発するものは震えていて、か細くて、
なんとか誤魔化して、やっと振り絞っているのがわかった。
それを耳にするまで、気づかなかった自分に
あー、まだまだだなあ、と思った。
同時に
一緒に泣きたくなってる自分におどろいて、
意外と大切な存在になってたことに気がついた。
なんとかなってほしいな。